スピリチュアル民の闇落ち

昨日アップされた関暁夫さんのYouTubeでスピリチュアルの人のダークサイド化について言われていたので、今日はこれについて思うことを書いてみようと思います。

※お忙しい方は48:03くらいから見てみてください

スピリチュアルとは?

英語のSpiritualでは以下のような意味があります。
(肉体的・物質的と区別して)精神(上)の、精神的な、(物質界のことと区別して)霊的な、聖霊の、崇高な、気高い、宗教上の、教会のWeblio英和辞典
この連想から、日本では「目に見えないもの」の話をするときの話にこの言葉が使われます。とりわけ、霊的超常現象や霊的世界の話題に使われています。
しかし、本来この単語はもっと精神的な「心」のことを捉える言葉でもあります。しかし、日本ではこちらの方向性で使われるようなことはないようです。

スピリチュアルは高尚なもの?

スピリチュアルに傾倒する人同士で「あなたのチャネリングは間違ってる」だのなんだのと争いが絶えません。また、「光の○○評議会」だのなんだのス○ーウォーズよろしくなファンタジーを引っ張り出してきては「光と闇の戦い」に身を投じる姿をよく見かけます。そういう中二病展開は個人的に好物ですが、スピリチュアルの趣旨からはずれていると感じることもしばしばあります。
スピリチュアルの世界は前述の通り、超常現象のような不思議なことを指す場合が多く、心や精神を指すことはほとんどないのですが、なぜかイメージとしては「高尚なもの」とされやすいです。目に見えない霊には低級霊もいます。それでも「高尚なもの」として取り扱い、心や精神の話にはなりません。
「高尚なもの」として扱う本来のところには、哲学や宗教的思考があったと思われますが、その色はかなり薄くなっています。おそらく、「スピリチュアルの闇落ち」のトリックにはこれがあるのだと思われます。

スピリチュアル闇落ちのトリック

「天使がこう言った」
「引き寄せできない」
「ツインレイと出会えない」
スピリチュアル本などで「スピリチュアルに傾倒して得られる幸せの形はこれだ!」というので、引き寄せの法則だのツインレイだの、と文字が踊っています。
ですが、そもそも御陰や結果を期待することは精神的な世界を生きることとは違うものです。それは、ヨガの考え方がヒントになります。ヨガ哲学では、結果に執着せず今ある義務を行うことに集中することで精神の自由と平静を獲得できると説かれています。
不動の献身の魂は全行為の結果を私(クリシュナ意識)に供えて、純粋正真の平安境に達する。神とのかかわりなき人は働きの報酬を渇望して、自らの行為に縛られ絶えず不安である。バガヴァッド・ギーター 第五章 第12節
それに、「他人から見て幸せそうに見える」形を装うために必死にもがいているだけであって、お求めになっている「それ」の多くは自分自身の本心から求めている幸せの形ではありません。本当の私の幸せは、もしかしたら毎日おいしいものを作って食べる生活そのものかもしれませんし、お掃除が上手になることかもしれません。本人にしかわからない幸せの形と幸せの度合いがそこにあるのです。そこから離れてしまい、明後日の方向に進んでしまうのです。
おおまかに言うと、これが例の「春分ゲート2020」の噂の一人歩きに繋がったのだと考えています。

救い主は現れない

仮に今アセンションや次元上昇と呼ばれるものの真っ最中だとして、今回の方向性は、救い主がお迎えに来る展開ではないと私は思います。今起きていることを見渡すと、「会社という親におんぶに抱っこしてると放り出される」ということが起きています。これは、「自立しよう」「本当の自分を生きていい時、むしろそうした方がいい時を迎えました」ということなのだと私は捉えています。
そういう観点でアセンションや次元上昇と呼ばれるものをみたとき、どう考えても「良心的な宇宙人が迎えにきて人類を選んで助ける」といった救い主ハッピーエンドではないと思うのです。ドラえもんの映画の時空警察みたいなものは登場しないです。
金融資本家に支配される人々も、救い主を待つ人々も、根底は同じです。「自分の魂を誰に売りつけたか」が違うだけです。金融資本家に売りつけるか、キリストに売りつけるか、悪魔に売りつけるか、はたまたブラック企業に売りつけるか…。しかし、これからは魂を買い上げてもらえなくなるということです。(石油も今買ってもらえなくなってますね)
自立した人同士でなくては協力が成り立たないのです。なぜなら、今まで蓋をされてきた膨大な数の課題が次々と溢れ出てくるからです。常識やマニュアルにない方法を使ってでも素早くガツガツとこの課題たちをみんなで解決していかなくては、地上の人間社会と地球環境が崩壊するという局面に立たされているからです。ここで、精神的に自立できていない人は戦力外になっていきます。まるで「居ない人」「透明人間」のように扱われるようになっていきます。
そんな中で、まだ「引き寄せられない」だの「あの人のチャネリングは間違ってる」だのと娯楽の評論家みたいなことをしていると、何が起きていくでしょうか?
そのようなことを問われている気がしました。

それでは、また。

夜明けの再会

心あたたまる世界を思い出して再会する場所

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